原子力発電所の代替として小水力発電を語ることへの違和感


 小水力発電は現在、原発の代替電源として注目を集めつつあるようだが、このことに若干の違和感があるということを書いておきたい。うまく書けるかな。


原子力発電所のリスクについて


 まず、これまで原子力発電所が都市を支えるうえで重要な役割を担っていたことは否定しない。問題は、我々は原子力発電所のもつリスクについて十分な理解がないまま運用してしまったために、極めて不十分な対策しかとらず、結果として壊滅的な被害を発生させたことである。我々はその反省から、原子力発電所のもつリスクについて注目し、その信頼性について厳しい視点で監視してゆく必要がある。


原子力発電所の再稼働について


 私は、原子力発電所のもつリスクをコントロールできると確信できるまでは再稼働を行うべきではないと考える。ゆえに再稼働の条件として“ストレステスト”をクリアすることが挙げられるのは当然であると考えるし、それだけでは不十分なのではないかとさえ思う。


 しかし、原子力発電所について国家および事業者は、事故後においても、安全性は語るもののリスクは語らない。現時点で、国家と事業者が“安全性が確認されたから再稼働する”と語ったとして、それを信用する人間は少ないだろう。現時点で再稼働を認める人間の多くも、原子力発電所の持つリスクとその経済性を秤にかけ再稼働を容認しているだけで、その安全性を確信している人間はどれだけいるのだろうか。


 原子力発電所の再稼働の条件は、国と事業者が原子力発電所のリスクを明確にしたうえで、その対策を明示し、再稼働容認の国民的合意がなされることを挙げておきたい。これには時間がかかるが、次世代への責任を考えれば、避けてはならないプロセスだと考える。


水力発電について


 一方、小水力発電の最大の特徴は、地方(中山間地域)などのコミュニティの核になりえることだろう。中山間地域におけるエネルギーの地産地消の核となりえることが最大のメリットだ。詳しくは「小水力発電の電力買取価格をせめて太陽光パネルの半額に引き上げて」を読んでみてください。


 小水力発電は地方(中山間地域)などのコミュニティを支えるエネルギー源としては有望だが、原子力発電所のように都市を支えるには力不足ではないかと感じる。都市において小水力発電は、せいぜい補助電源だろう。


 小水力発電原子力発電所の様には都市を支えてはくれないだろう。そのことが明らかになった時、小水力発電(というか多くの再生可能エネルギー)に失望する都市住民がいたとすれば、それは知力不足の謗りを免れないだろう。


問われていることと違和感


 原子力発電所事故により問われていることは、原子力発電所の代替探しではなく“都市の支え方”だと考える。その結論は、現在の都市を維持するエネルギー源の確保ではなく、都市の縮小と人口の分散化という方向になると予想する。都市と地方のバランスをどう整えるかということが問題の本質で、エネルギー源はその構図の中に含まれる要素と言える。


 事故を起こした福島第一原子力発電所で発電された電力は東京で消費していた。しかし、飯館村などの農村・漁村を支えるのに原子力発電所はいらない。それこそ小水力を軸とした再生可能エネルギーで十分だ。「原子力発電所」などの大規模電源が必要なのは都市や工業を支えるためである。


 いま、「原子力の代わりに小水力」と語る場合に、この辺の切り分けができてないケースが多い様に感じれらる。つまり、都市と地方という構図の中で電源問題を考えない方々には違和感がある。


 以上、「同感」という人が多く居られると嬉しいです。