“ピーク・リン”でどうなるの?


 “ピーク・リン”が来ると結局どうなるのだろうか?


 考えてみた。


 世界人口は2008年5月1日時点で66億6000万人、2050年には91億人になると予想されている。しかしこの人口を支える食糧はリン酸を含む化成肥料がなければ生産できない。しかし現在、リン酸の原料となっているリン鉱石も枯渇性資源なので、資源国側は自国の利益に合う形で利用しようとする。リンも資源ナショナリズムのツール・リストに加わるということだ。



■日本は?


 なんだかんだいっても日本は世界的に見れば裕福な国である。しかも今世紀末まで日本の人口は減少してゆく。つまり日本の産業が競争力を失わなければ、“口の数”は減ってゆく分、世界レベルで見れば比較的問題は深刻ではないといえる。


 いまの農業は化成肥料のやりの過ぎという面もある。永田農法的に液肥を活用したりするなどの方策をとれば、化成肥料の消費量削減を計る余地は大きいと思われる。というか今月の「現代農業」を読むと果樹なんか無肥料でもいけるのでは?とも思う。


 さらには、下水、河川、海などに溶けているリンを回収する技術を一般化できる可能性もある。人工の海底山脈を作って藻や魚を養殖し食糧や肥料としてもいいだろう。


 結局、日本においては、食糧調達コストは上がるが、餓死者を大量に出すほどのことは起きないだろうと思われる。



■日本人は?


 日本は、切羽詰れば食糧生産はなんとかなるんじゃなかろうかと思うが、価格はかなり上がるため、個人レベルとしては食糧を購入するお金を得る手段を確保しておくことが重要となる。


 「お金を稼ぐ自信なし!」という人は、いっそのこと農業の担い手になるといいのではないか。10年後くらいには「農家の若き担い手こそが国家の土台である」ということになると思ので。



 説明不足かな。
 説明を試みます。



 国際競争力をもつ都市をどう維持するかを考えると、人・モノ・エネルギーを地方から安定して調達することが重要となる。


 いま東京は、モノやエネルギーを外国から安価に調達しているが、世界的なナショナリズムの高まりもあるし、資源のピークもあるしで、より調達コストが上がることは目に見えている。また人も、歴史的に地方の余剰を都市が吸収するというのが基本であり、地方を疲弊させすぎると都市への流入が細るため、結局都市を維持することができなくなってしまう。


 今後、日本を安定的に運営するためには人・モノ・エネルギーについて国内での循環を意識せざるをえず、地方を生産エリアと位置づけ、都市を消費エリアと位置づけて、そのバランスを健全に保つことが求められるのではないか。


 などと考えてゆくと、都市での競争は皆さん承知のとおり激化する一方なので、そこで負けるよりはいっそのこと爺さん・婆さんががんばってなんとか支えているような地方・農村の生産現場に身を投じてヒーローになるのもアリだと思うのだがいかがだろうか。


 理想は、地方・農村において、中小水力などでエネルギーを自給しながら、農業を営みつつ子供を3人もうけることではないか。長男は跡取りに、次男は都市で勝負させ、長女は農家に嫁に出すというベタなパターンがいいだろう。そのうち国家もその様な動きを支援せざるを得なくなるだろう。


 …


 といってもいきなり農業の担い手になれといってもハードルが高いわけで、とりあえず農業に詳しい友達をひとり作るとよいと思う。友達ができるまでは、まぁ、農業の視点を忘れずに国家を語ろうとしているメディアを探すといいかも。まずは「現代農業」あたりを図書館で読んでみるといいと思うのだが。