都市と地方

 都市は、資本主義のもと貨幣の運動効率を高めるために効率化を進め、活発な貨幣の運動により余剰価値を生む場となるべきだ。そして都市は、貨幣の運動のために人間と食糧とエネルギーを消費する“消費の場”となるだろう。


 都市が消費する人間と食糧とエネルギーは、地方で生産されたものである。地方は“生産の場”ではあるが、分散化しているため貨幣の運動効率が悪く、したがって資本主義下では競争力が弱く、ほっておくと衰退してしまう。


 地方が衰退すると、生産と消費のバランスが崩れ、国家が衰退する。「百姓は生かさず殺さず」のさじ加減で、都市が生んだ余剰価値を地方に還流させることが国家の役割のひとつだろう。具体的には、農家が子供2名以上を育てることができる環境を維持するべきだ。現在のままだと地方は死にいたる。


 これは都市住民にとっては“地方の甘え”に聞こえるだろう。しかし、日本国を統治するということは、今も昔も、江戸、大阪といった都市を繁栄させ、かつ地方においては「百姓は生かさず殺さず」のさじ加減を実現することなんだと思う。


 都市にとって地方とは、本質的にグローバルなものかもしれない。しかし、それは日本国という枠組みを壊す考え方となる。ざんねんながら現世紀においてはまだ、国家なき地域は悲惨である。日本国内において都市と地方のバランスを保つこと、それが日本国を統治することであり、国内政治なのだと思う。